山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

趣味の強度、錆びた釘の悪口は趣味となり得るか?

趣味には強度があって、強度が高い趣味は長続きし社会性を持たせることができるが、低いものは趣味そのものとしてしか存在できない。

この辺りは自分で趣味を作り続けていくためには、かなり重要なことなので、実例を挙げて詳しく解説していく。

ところで私には錆びた釘の悪口を考えるという趣味があるので、これを実例として挙げることにする。

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錆びた釘の悪口を考えるのはやってみると難しく、なかなか良い悪口にならない。

  • 画鋲以下
  • トンカチの穢
  • 色だけ明太子
  • 腐ったニンジンの方が木材にめり込む
  • お前より曲ったまち針のがマシ
  • 握ったら手を錆び臭くするだけのグズ野郎
  • みかん箱の中に入れても影響力なし、腐ったみかん以下のカリスマ性
  • ぬかに打ち込むと手応えある
  • ぬかみそに入れると漬物が鮮やかになる
  • 錆びてる

この中で一番のお気に入りは『腐ったニンジンの方が木材にめり込む』というので、『錆びてる』というのもシンプルで良い。悪いのは『曲ったまち針のがマシ』というので、どうマシなのか人に伝わらないし、冷静になったら曲ったマチ針、錆びた釘、両者ともに実用性は低いけど、そんなのどうでもいいと思う。

それでこの『錆びた釘の悪口』が持つ趣味として強度を考えてみると、残念ながら低いとするしかない。なぜ低いのかというと、3つの理由がある。

  • 道具が必要ない
  • 発表しにくい
  • あまり時間を消費できない

道具が必要ない

錆た釘の悪口を考える際に、必要となる道具は『錆びた釘』程度である。というか『錆びた釘』などなくても、悪口を考えることはできる。この記事を書くために、『錆びた釘』を拾ってきたのだが、『錆びた釘』がある状態とない状態で悪口の品質が変わることはなかった。

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あと錆びた釘って探してない時には、その辺に落ちてる気がする。だけど実際に探してみると、なかなか落ちていない。どうしても錆びた釘が欲しい人は、空き地やら駐車場の端っこがお勧め、今から出掛けて探してみると良いと思う。

これで錆びた釘がどこに落ちているかは理解できたと思うから、この話はこれで終りで、趣味にとって道具という要素はとても重要である。パッケージ化されている趣味で、道具を使わないものはほとんどない。人気のある趣味は、ほとんど道具にこだわることができる懐の深さを持っている。道具によって趣味に次のような楽しみが加わる。

  • 趣味を改善するために道具について考える
  • 道具の購入資金を集める
  • 道具自体を愛でる

そんなわけで錆びた釘の悪口の趣味としての強度を上げるには、錆びた釘にこだわるしかないが、残念ながら人間は錆びた釘を楽しむ感覚をあまり持ち合せていない。悪口を書き残すためのメモ環境や、罵倒語が大量に掲載されている過去の物語を研究するなど、道具にこだわる方法もないわけでもないけど、どうしても無理をしている感じがある。

発表しにくい

さらに『錆びた釘の悪口』には、発表がしにくいという問題がある。今回掲載したのは十個程度であるから、ギリギリ健全かつ私の人格は疑われない仕上りになったものの、これが千個とかになると異常者っぽい雰囲気が出てきてしまう。

あまり時間を消費できない

最後に時間を消費できないという点、『錆びた釘の悪口』を考えるというのは、確かに私の趣味の一つだが、数年に一度、思い出した時に、なんとなく考えているだけという感じである。何時如何なる時も錆びた釘の悪口を考え続けているイカれた人間はまずいない。やってみると分かるが、普通は三つくらいで頭打ちになってしまう。

錆びた釘の悪口なのだから、釘か錆を基にして考えなくてはならない。錆や釘の性質や文化背景、あるいはサビ、クギなどの響きから悪口を考えるわけだが、あまり広がりがない。ずっと考え続けていると、一周回って『先がとがらせた長細い金属が空気や水に触れ酸化物などの化合物が発生している様子』といった客観的な描写が笑えてくる状態になるが、これは一種のランナーズハイに近い感覚で、錆びた釘の悪口では、そんなに時間を潰せない。

まとめ

錆びた釘の悪口を考えるといった強度のない趣味を、趣味生活の中心に置いてしまうと、すぐに趣味がなくなってしまう。

強度を持つ趣味をひとつ中心に据え、錆びた釘の悪口のような弱い趣味は、あくまで副次的なものだと考えたほうが良い。

それじゃこういう趣味に意味がないのかというと、そういうわけではない。強度のないミニマムな趣味を楽しむ価値もあるんだけど、それについてはまたそのうち書きます。