明治時代に簡易生活という考え方が流行していた。この考え方は日本に深く根付き、良い反応も起こせば、悪い結果を残したりもしている。
今更明治の考え方なんてと思われるかもしれないが、知っておくことで様々な文化をより深く理解することができる。現代ですら、まだまだ明治の簡易生活は生き残っている。今これを今読んでいる人も、知らないうちに影響を受けているはずだ。明治の文化のみならず、現代を理解するためにも、簡易生活は知っておいたほうが良い考え方だ。
簡易生活についてまとめられている初期の書籍に『簡易生活』民友社 明治28(1895)年がある。この書籍は簡易生活が、実に上手く書かれている上に、最も純度が高い。というわけでこの書籍を読み解きながら、簡易生活について理解していこうというのがこの記事の概要である。
簡易生活要約
『簡易生活』を究極にまで要約すると次の通りだ。
- 実用が全て
- 簡易で簡素
- 余計は排除
3つもあるのが面倒くさいのであれば『簡易にする』で十分である。
簡易生活の詳細
先に紹介した『簡易生活』に登場する簡易化を、箇条書きにすると下記の通りになる。
- 時間を節約する
- 思考を節約する
- 金銭を節約する
- 礼節を簡略化する
- 交際を簡略化する
- 適切に準備をする
- 適切な職業を選ぶ
- 適切な住居に住む
- 適切な衣類を着る
- 質の良い娯楽を楽しむ
納得できるような気がしないでもないけど、とにかく数が多くて繁雑であり、簡易じゃない雰囲気がある。そもそもこういうことが出来ないから、みんな苦労してるのでは?という感想すら出てくるかもしれない。
というわけで、さらにシンプルにすると、こういう感じになる。
- 金銭を節約する
- 礼節を簡略化する
- 装飾を簡略化する
以上が目標、続いて生活を簡易化するための具体的な方法を読み解いていく。
水飲むための器
『簡易生活』の冒頭に寺の水飲み場の器について記述されている。簡易生活関連の資料をかなり読み込んだのだが、結局のところ寺の水飲み場に、簡易生活を実行するための要素が全て折り込まれていという結論となった。現在も様々な生活法はあるけれど、最も最高なものは、いかなる時代であっても通用する普遍的なものである。普遍性がないと状況によって変化させる必要がある。そういうのは面倒くさい。
というわけで日本における簡易生活の原点であり、最も普遍性のある水飲み場の話を要約してみよう。
三緑山芝公園にある弁天池のほとりに寺……恐らく今の宝珠院があった。寺の門前には井戸がある。清く澄んだ水はこんこんと湧き出して豊潤、そして一種の甘味がある。夏には歩く人、労働する人が井戸の水で喉を潤す。人々が井戸に集い、会話を楽しむ一種のサロンのような場所でもあった。その一方で、炎天下に人々が列をなすという問題も発生していた。この行列を解消するため、誰が考案したのかは不明だが、器にちょっとした工夫がなされることになった。
使われているのは、なんの変哲もないブリキの器である。しかし水を汲むと、底からチョロチョロ流れていく。不思議に思い底を見ると、ジョウロの口のような小さな穴が開けてある。躊躇をしていると、水は器から流れてしまう。勢い人々は、急いで水を飲まざるをえない。この単純な工夫によって行列は解消されてしまったという。
なんでもないような話だが、日本の簡易生活の原点だけに、様々な要素を持っている。
まずこの方法は、豊富にある水を前提としたものである。水が貴重なら水が漏れる器など使ってはいられない。水を犠牲にして、得られたものがなにかというと時間である。水などいくらでも湧き出てくるが、時間は帰ってこないといった効率的な考え方である。
もう一つは切るべきところは切ってしまうという態度だ。行列は解消したが、サロンとしての水飲み場ではなくなり、実用としての水飲み場となっている。会話は別の場所でしろということでもあるのだろう。効率化のためには、多少の犠牲は省みない。
そして器だ。この書籍が書かれた時代には、かっては高額だった金属製の器も、大量生産によって穴を開けて公共の場所に置いておいても、惜しくもないものになっていた。これはテクノロジーを徹底的に利用してやろうという態度である。
公共心に訴えるでもなく、複雑なルールを作るわけでもない。ブリキに穴を開ける。実に単純な仕組みであるが、とにかく行列はこれで解消してしまった。
以上をまとめると、以下のようになる。
- 効率の重視
- 技術の活用
- 単純な仕組み
- 多少の犠牲は省みない
続いて簡易生活を日常で実行するための方法も書いておこう。
簡易生活実行法
簡易生活を実行するためによって実現すべき生活の態度というのは、下記のようになる。
- 金銭の節約
- 生活の簡略化
- 交際の簡略化
どう実現するのかというと、次の通りである。
- 効率の重視
- 技術の活用
- 単純な仕組み
- 多少の犠牲は省みない
上記のリストを3つにまとめると、冒頭で紹介した通りになる。
- 実用が全て
- 簡易で簡素
- 余計は排除
実際にやってみるということ
私は昔の事を調べるのが好きだ。調べたところで、ほとんど利益はない。実に空虚なものである。
しかし健康法や簡易生活は、やってやれないことはない。大正時代の健康法は実行したりもしている。
やったところで面白いだけで、特に意味はない。それでもかって存在していた呼吸法や気合でなんとかするしかなかった人々の、気持になれないわけでもない。そういう気持が私は好きである。
そんな流れで簡易生活も遊びで実行しているのだが、なぜだが色々と上手くいっている。未だに簡易化できていないところもあるが、多少は生活が楽になり、苦痛も徐々に消滅しつつある。具体的にどうしてるんだって話になると思われるのだが、簡易生活カテゴリーに多少は書いてあるので、暇な人は読んでみて欲しい。
助かる考え方を選ぶということ
以下は余談で、単なる私の感想である。
明治というのは科学を追求し、合理性を確立しようとした時代であった。もちろん地域や個々人の知識量の差が、今よりずっと大きく開いていた時代でもある。一瞬で全国民が科学的に考えることができるようになったわけではない。それでも一部の人々は合理的な考え方を身に付けようと奮闘していた。
簡易生活もそんな動きの中で発生した生活方法だ。迷信なんてものは繁雑だからブチ壊してしまい、ありとあらゆる『式』は廃止する。玄関なんざ通れさえすればいいのだから、広くて立派にする必要なんてない……これが簡易生活だ。そこには残酷なまでの合理性が存在している。
その一方で、今だに日本には精神論や根性論が残っている。合理性なんて程遠いように思えなくもない。しかしこれも、明治であれば合理的な方法だった。勤労意欲に乏しい人が多かったため、真面目さを創出、時間も曖昧であったから、必死で時計を普及させる。労働時間が長いのは、海外と遣り合うには他に方法がないからだ。実に合理的である。
明治の日本っていうのは、よく分からないくらいに上手くいっている。識字率や地理的条件、優秀な人材の活躍などで説明されることが多いのだが、それでも私は理解できるようなできないようなっていう気持になってしまう。ただ簡易生活のような身も蓋もない態度を持つ人々が数多くいたのであれば、上手くもいくんだろうなとは思う。彼らは助かる考え方を上手く選んだって表現することもできるのだろう。現に今も、身も蓋もない態度の国は不思議なくらい上手くいっている。
翻って今の日本の考え方はっていうと、助かる考え方を選べてないのかなってのが私の感想だ。残念ながらそんな考え方の一部には、劣化してしまった簡易生活も混っている。時代が進むにつれて簡易生活は劣化していき、悪い部分がより多く残ってしまったというのが現状だ。これを克服するためには、明治まで遡り地道に解釈していくしかない。
- 作者: フリードリヒ・A.キットラー,Friedrich A. Kittler,石光泰夫,石光輝子
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