山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

社会性ないのはヤバいんじゃないのかと気付きつつある

私の社会認識

ここ数年で気付いたんだけど、私はあんまり社会性がないらしい。らしいっていうのは、まだ実感がないからなんだけど、社会性のない人は社会のことを曖昧にしか理解していないと思われる。

私の事例だとかなり最近まで職場や学校なんかの集団がいる場所での行為っていうのは幻覚みたいなもので、みんな冗談みたいな雰囲気で参加しているっていう認識であった。それじゃ飲食店等の人がいる店に行くのも夢なのかっていうと、それは状況やら時間による。それでみんな1人の時に、生きてる実感を得るみたいな曖昧な感じである。

冗談のわりに人間って国とかすごいマジで作ってるわけだけど、その辺りをどう処理していたのかというと、人類は生物としては弱者なんで、集団を構成せざるを得ない。安全に1人でいる状況を作るため、国とか作ったんだろみたいな曖昧な雰囲気である。面倒クセーし興味ないからあんまり真面目に考えたことなかったけど、だいたいそういう感じで処理してたんだろうと思う。

今では私もかなり成長はしていて、人類の全員が人が集まっているところを幻覚と認識しているわけではないらしいってことが判明してきている。判明はしつつあるものの、まだまだ疑わしい部分もあり、みなが俺を騙しているんじゃないかっていう疑いは晴れないものの、そんなことを考えるのも面倒くさいんで、まあだいたいそういう感じだろっていうところで納得をしている。

曖昧さからの脱却

私が社会をどう捉えているのかっていうのはまあいいんだけど、最近は日本社会の将来がヤバそうみたいな雰囲気が出てきている。15年くらい前からヤバそうって思ってはいたけど、冗談でやってんだろうなっていう曖昧な認識だったんで、あんまり心配してなかったんだよな。でも最近は冗談でやってるわけではないっていうことが理解できてきて、ちょっとした恐怖があり不安感が増してきている。社会性あったらもうちょっと早い段階で対処出来たのにエラいことになったなーっていうのが現状である。

不安を解消するには、お金しかない。この辺りも曖昧なのだが、お金があると普段は良い幻覚を見ることができる。個人的にその辺りはあんまりメリットない。しかし問題は非常時で、お金があるとある社会から、別の社会へ移動することができる。これでかなりの安心感が発生するような気がしないでもない。

それだったらお金が増えるように行動したらいんだろうけど、社会の認識が曖昧な人間は、お金への認識もかなり曖昧である。今さっきも私はお金のことを考えていた。しかし途中でめっちゃ曖昧になってきて、まずダンゴ虫は丸くなる。なぜダンゴ虫なのかっていうと、お金は丸いもののほうが種類が多いからで、とにかくダンゴ虫は丸まる。これは誰でも知っていると思われる。子供の頃はダンゴ虫は丸くて笑えるって思ってたけど、不思議なことに大人になるとダンゴ虫どうでもよくなってくる。大人になると、丸まってるだけじゃんみたいな感想になる。大人になるって寂しいことではあるのだが、そんなことはどうでもいいとして、とにかくダンゴ虫は丸くなる。

残念ながらダンゴ虫は知能ないからダメだけど、もしも知能があったらダンゴ虫たちは丸みについて互いに語り合うことだろう。奴の丸みは円熟の境地に入っているッって畏怖したり、自分の丸みをアピールするために良い場所を探したりする。己れの丸みを誇示したいがために、加熱していく若者たち、最近では対戦相手の丸みを妨害するため、足場を荒す卑怯者も出てくる始末で、丸み業界で大きな問題になっている。最近の若者は瑣末な技術を追及することのみに熱心で、丸みの良さも失われつつあるではないか。昔は良かった。老いも若きも石の下に集い、もっと大らかな丸みを皆が楽しんでいた……そんな古老の嘆きに共鳴した極々一部の若者たちが、古代の文化を復興しようという運動を始めるわけだが、これがダンゴ虫の社会である。貨幣に当るものはやっぱりエサなんだろうけど、ダンゴ虫って枯れ葉とか食ってるらしいな。私は枯れ葉なんか食べたくない。アジとかサンマとか美味いものが大量にあるのに、枯れ葉を食う人間は頭が悪い。職場に枯れ葉をバリバリ食うオッさんがいたら、かなり嫌な雰囲気だし、そんな人材がいる企業は早晩破綻してしまうことだろうが、本当に大変な時代になりつつあるものですね。

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