山下泰平の趣味の方法

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私はこういう人です

ペリーのミンストレル・ショーとアメリカンポリス24時!の黒塗りはほぼ無関係だと私は思います

「ブラックフェイス(黒塗りメイク)」は人種差別行為か――。昨年12月31日に放映された「ガキの使い!大晦日年越しSP 絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時」(日本テレビ)の中で、ダウンタウンの浜田雅功が、アメリカの黒人コメディアン、エディ・マーフィに扮して登場。日本で賛否両論を巻き起こすと同時に、英BBCや米ニューヨーク・タイムズなどもこれを報じた。

この件に関して。

ペリー提督は、日本人の観衆のために、白人の部下にブラックフェイスで「ミンストレル・ショー (顔を黒く塗った白人と、白人が登場する寸劇)を演じさせた。当時の記録によると、臨席していた日本人はこれを喜んで観ていたという。これがあまりに面白かったため、ペリー提督が離日した後も、日本人は自分たちの中で、この人種差別的な行為を続けた。アメリカの直接的関与と関わりなく、日本のミンストレル劇や黒塗りメイクで演じる日本人のコメディアンは1870年から2017年の大晦日に至るまで存在し、これは記録に残っている。

なんてことが書かれているが、個人的にはかなり怪しい話だなって感じている。ペリーのミンストレル・ショーとアメリカンポリス24時!の黒塗りもほぼ無関係、なぜなら明治の娯楽小説や芸能の分野で、ペリーのミンストレル・ショーを見たことがないからである。後述するが『ペリー提督が離日した後も、日本人は自分たちの中で、この人種差別的な行為を続けた』んなら、出てくるのが当然なのだが、私は1回も見たことがない。少なくとも明治のある時期には、ペリーのミンストレル・ショーの影響なんてものは消滅しているんじゃないのってのが私の素直な感想である。

最初に書いておくけど、大正や昭和に入ってきたミンストレル・ショー的なものによる日本文化への影響については私は知らない。また明治における全文化について、熟知しているわけでもない。というわけで、以下は明治中期あたりの娯楽物語について、そこそこ知っている人間の見解ってことになります。

明治中期あたりの娯楽物語にミンストレル・ショーが出てこない

ペリーによるミンストレル・ショーが広く流通していたとは思えない理由のひとつに、私が読んだ範囲内では、明治中期あたりの娯楽物語に出てきたことがないという点がある。

明治娯楽物語の対象となるのは、講談速記本や大衆小説、犯罪実話など、これらのジャンルでは、時事関連の話題を扱うことが多い。もちろん芸能の流行なども、よく取り上げられている。この時代にペリーの影響でミンストレル・ショーが各地で開催されてたとすると、絶対になにがあっても登場するだろうという分野である。西洋的な演芸だと、奇術や軽業、手品や怪力術などが多く取り扱われるが、ミンストレル・ショーに関しては見たことがない。

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ただし以上は主観にすぎない。といわけで資料として『海坊主お竜』(夢郷庵 (岡本偉業館1902)から、大晦日に海上で開催された宴会の場面を引用する。

龍「鮫公、一つ踊ってみな」

鮫「へへへへぢゃあ年忘れにやっつけやしょうか」

と立って手ぬぐいを被ったが色が黒いから妙な顔に見える。

鮫「忍ぶ恋路のさてはかなさよ……」

甲「イヨー千両ッ」

乙「待ってました」

甲「引っ込むのを」

鮫「おい誰だい混ぜッ返すなァ」

色黒の男が唄うのは端唄、踊りはステテコやカワポレ(カッポレ)である。『日本のミンストレル劇や黒塗りメイクで演じる日本人のコメディアンは1870年から2017年の大晦日に至るまで存在』してたとしたら、ここで出てこないわけがない。この作者がたまたまミンストレル劇を知らなかっただけなのではって疑問を持つかもしれない。しかしこの作者ほど、ミンストレル・ショーを書きそうな男はいない。というわけで、その経歴を軽く紹介してみよう。

『海坊主お龍』の作者夢郷庵は明治15年に土佐の安芸に産まれ、5歳の頃から村芝居に親しんだという男である。つまり子供の頃から芸能に、かなり興味を持っていことが分かるだろう。音楽が好きで画も好き、母親が芸者さんの娘、叔父も太鼓が得意、明治22年代から横須賀在住、さらに横須賀町立尋常高等学校に通っており、16歳から芸者遊びを始めている。年齢を考えるとわりと一所懸命に遊んだみたいで、横須賀の料理店吾妻屋で半玉の『をもちや』が、お座敷で恥をかかされ泣いていた姿を新体詩に仕立て、『中学世界』に応募し一等当選していたこともあるくらいである。文章も好きで、横須賀の新聞社でバイトなんかしている。

現在、生存している全ての人々よりも、明治20-30年代における横須賀での演芸には詳しい人物だと考えてもいい。横須賀は、ペリーがミンストレル・ショーを演じさせた場所だ。そして夢郷庵は、物語に宴会や芸能のシーンを出すのが好きである。『海坊主お龍』にだけでも、明確に描写された宴会シーンが2回は出てくる。明治の明治20-30年代にかけて、もしもミンストレル・ショーが流行していたのであれば、夢郷庵の書いた物語に一度も出てこないというのはほぼ有り得ないわけだけど、一度も出てこない。

もうひとつ客観的なデータを上げておくと、国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化資料の図書を対象にカッポレを検索すると58件、ミンストレルはわずか2件しかない。ミンストレルが該当するのは、中世ヨーロッパの職業的音楽家に関する書籍、ミンストレル・ショーとは関係ない。一方のカッポレは音譜や振り付け、随筆や芝居など、読めば実演できるような内容が含まれている。今でもカッポレには家元があるけど、日本にミンストレル・ショーの家元なんかいない。あと森繁久彌がフラメンコカッポレを歌ってるし、ミンストレル・ショーよりカッポレのほうが100000000000倍は人気があったということが伺える。ただし、ミンストレル以外の表記があるかもしれない。かなり粘着して検索したけど、発見できなかった。知ってる人は教えてくれたらありがたいです。

芸能関係では?

それじゃ寄席ではっていうと、あんまり知識がないのでよく分からない。操り人形で有名なダーク一座が『黒人合奏』というのをやっていたらしいけど、なにしてるんだか内容が分からない。なんでかっていうと当時の人々が書き残したダーク一座の感想を読むと、操り人形スケーみたいなのしか出てこないからである。この辺りの知識は乏しいので、明治の芸能に興味のある人は見世物興行年表をどうぞ。ここらへん書くのに私も参考にさせていただいています。

ついでなので画像データも貼り付けておく。次の画像では戯画化された黒人のイラストが登場している。

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早稲田大学図書館古典籍総合データベース 小林清親画「東京千歳座ニ於テ興行 米国ノアトン世界無比不可思議奇術」

次の画像では、なんだかよく分からねぇ奴らしかいない。

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『奇術米国 ウヲッシ・ノアトン社中』

明治の20-30年の寄席に通う一般的な人間が、西洋っぽい芸能を観た場合、ミンストレル・ショーも奇術も、一様に珍しいっていうような感想を持つ気がするが、こちらもあくまで私の感覚、断言することはできない。

明治娯楽物語における黒人の扱い

明治娯楽物語にいて、黒人がどう扱われていたのか、3つの例も上げてみよう。なんで3つかっていうと理由があって、実は明治娯楽物語に、黒人はあまり登場しないからだ。今思い出せるかなり黒人が活躍する物語が、3つしかない。そんなわけで、特に黒人が良い扱いされている作品を集めたってわけではない。これしか紹介できる作品がないっていう感じである。

1人目は以前にも紹介したことがある『蛮カラ奇男児 星塔小史 著 大学館 明治四一(一九〇七)年』に登場するアフリカ人のアルゴである。

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嘘を書いても仕方ないんで、正直に書いておくと、蛮カラ奇男児自体はわりと無茶な書籍な上に、西洋の小説の影響もあって登場当初、アルゴはどちらかというとカリカチュアライズされたキャラだった。無駄に名前が長かったり、色の黒さが強調されたりだな。ただそれだけじゃなくて、後半では武士道と騎士道を同時に身に付け、弓術と捕縛術の達人で神速の神業を持っており、海賊組織と無政府主義者の組織を壊滅させたりしている。あと教養もあるな。結果的に、かなり独特のキャラクターに仕上がっている。

2人目は『侠骨木戸少佐 無名氏 著春陽堂 明治二六(一八九二)年』に登場するインド人の青年である。インド人が黒人なのかとか、そもそも黒人って名称がおかしいよなとか色々あると思うんだけど、書かれたのは明治である。今の人と比べると、明治の奴らとか雑で馬鹿なのが一般的なんだから、そんなこと突っ込んでも仕方ないわけで、この作品ではインドの人も黒人として扱われているんだなって考えてください。

この作品のテーマは治外法権、舞台は横浜の外国人居住地、主人公は木戸龍蔵は非職の陸軍少佐で国家からの命を受け秘密探偵としての活動をしている。武芸十八般に通じ、ピストルの腕もある上に、自作の鞭を使い独自の武術を編み出しており、いかなる撃剣の達人であっとしても打ち込むことは出来ない。海外漫遊もしており、英仏独露中の諜報術も身に付けているという男で早い話が超人だ。この男が外国人居住地からフランス産れのロミオフランチェスカ嬢を助け出すという物語である。

インド人の名は武郎(ブロウ)、ロミオフランチェスカの下男をしている。武士の武が使われていることからも分かるように、実直な青年で、ロミオフランチェスカを助けるため活躍するといったシーンも描かれている。ここに出てくる偏見は、黒人は人の顔を覚えているというもので、差別的な表現でもないような気がする。

最後の紹介するのは、『黒人の馬丁 『真龍斎貞水 写真画報 第二四号 明三八(一九〇五)年』である。これは実話をもとにした物語で、いわゆる講談を速記した作品となる。麻布三軒家町に住む奈良原忍大隊長は、知人に騙され日本にやってきたマレー人のジョンマニースを気の毒に思い、馬丁として雇うことにする。落語家ブラック(初代)によく似た口調で実によく働く。ジヨンマニースは日本人には発音しにくいため、大隊長は奈良原忍蔵という名前をプレゼントする。要するにお前も家族の一員だっていうことである。そうこうすううち日露の開戦、大隊長は忍蔵に帰国しろと命ずるも、承知せず共に戦場へ。大隊長は満州で奮戦するも、山城子山で戦死してしまう。忍蔵は内地に戻ると夫人に大隊長の最後を伝え、その後も遺族のために尽した……という物語だ。ちなみに当時は、馬丁をヒーローにしようという流れがあった。なんで馬丁なのって疑問に思った人もいるかもしれないけど、そういいう本を今書いてるので興味を持ってくれた人は読んでみてください。とにかく当時としては、戦場に行く黒人の馬丁はかなり魅力のある主人公だ。そしてそこには、ペリーのミンストレル・ショーの影響など皆無である。むしろ『露西亜がこわいか 山下雨花 編駸々堂 明治三七(一九〇四)年)』の影響のほうが強いだろう。

以上のように、明治娯楽物語にはミンストレル・ショーのように、黒人に愚行を演じされるといった描写は少ない。私も明治娯楽物語の全てを読んでいるわけじゃないんで、もしかしたらあるのかもしれないけど、3作品には渋い黒人キャラが出てくるってことは事実である。また私が知っている分野に関しては、ペリーのミンストレル・ショーから影響を受けている要素はほぼ存在しない。

ちなみにこういった作品に関して、ひとつ注意点があって、当時の物語っていうのは、かなり適当だということである。物語のストーリーを書くのが面倒になったら、西洋の小説の一部を翻訳したものを、強引に押し込んだり、他の作品から普通に盗作したりってことが当り前に行なわれている。今回紹介した三作品だと『蛮カラ奇男児』はその一部が海外の小説が元ネタの可能性がある。『侠骨木戸少佐』に至っては、翻訳元となる作品があるかもしれない。

他の分野について

日本には顔を黒く塗ると身体丈夫になるといった俗習があり、羽子板の罰ゲームに顔に墨で落書するというものがある。顔を黒塗りにする奇祭も、いくつか今でも残ってたような気がする。これもペリーは関係ない。鬼が黒い物を怖がるとか、白塗りするより黒塗りしたほうが金かからねぇとか、そいうところに理由がある。

そんな瑣末な文化はどうでもいい。とにかく黒塗りは止めろって話になるかもしれない。確かに今は塗料が安くなってるから、黒にこだわる理由もないかもしれない。だけど黒塗りが駄目なら、白塗りも駄目ではってところまでエスカレートしちゃうと、歌舞伎なんかも駄目になってしまう可能性がある。

実は白塗りに関して、極々一部の人々が止めたほうが良いのではと考えたことがあり、一回失敗している。かって西洋の文化を受け入れる過程で、演劇改良運動ってのが発生した。これを超簡単に説明すると、日本の芝居を西洋みたいにするというもので、具体的には次の3つを改善しようという運動だ。

  • 劇場
  • 舞台装置
  • ストーリー

舞台に関しては桟敷じゃなくて椅子に座るとか、幕間に弁当食うなとか、そういう感じの改善である。舞台装置であれば、物語の舞台になった土地にまで行って背景を描き、少しでもリアルにしようといった流れが発生した。ストーリーも猥褻な部分や矛盾点をなくし、より現実的なものにしようと改良派の人々は活動していた。

当然ながら、決闘の場面で白塗りの人間がポーズを決めたりすることがあるけど、なんで殺し合いをしてるのにポーズを取ってんだ馬鹿野郎がって人も出てくる。さらにエスカレートして、なんで闇夜の場面なのに明るいんだって話になり、窓を全部閉めきって、真っ暗の中で台詞だけ聞えるみたいな状況も発生している。演劇改良運動の人々はリアルだッ!と喜ぶわけだけど、観客は迷惑である。もちろん、白塗りして生活してる奴とかいねえだろッ!! って話もあって、素面の人とかも出たけど、やっぱり違和感あるよねっ結論だった。で、改良運動でで良くなった部分は残して、今のお芝居に落ち着いたって流れがある。

一回実験してみて、上手く行かなかったって事実あるわけで、外側から白塗り止めろって言われてちゃうと厳しいところがあるような気がしないでもない。白塗りダメになったら、明治超えする必要がある。

もうひとつ書いておくと、普通の場所で白塗りやるの違和感あるよなってのは、今でもギャグの場面でたまに使われている。ビートたけしさんやら、ドリフのコントなんかで、歌舞伎っぽい格好でワーワー騒いだりするアレである。海外は知らないけど、日本には状況が変だと面白いっていう文脈があり、浜田雅功さんが、アメリカの黒人コメディアン、エディ・マーフィさんに扮して登場したっていうのも、観てないから知らないけど、違和感があるから面白いって状況が何度かあったと思う。あと『志村けんのバカ殿様』でも、顔を塗ることによって発生する違和感が利用されている。

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志村けんのバカ殿様 - フジテレビ

『志村けんのバカ殿様』がなくなったら、大変なことになりそうだし一様に顔を塗るに反対する流れには一抹の不安があるわけだけど、芝居に関してはかなり適当な知識で書いてるんで、あんまり信じないようにしてもらいたい。

断定はできないし反対もしないけど

これまで書いてきたのは、私が知っている分野に関するもので、明治時代にペリーのミンストレル・ショーなんて全然流行ってないって断言することは出来ない。ニセ科学を否定するのと同じような難しさがあるな。

ミンストレル・ショーを見て日本の武士が爆笑したって話に関しても、そりゃ招待されてんだからクソみたいな芸披露されたとしても気を使って笑うだろとか、その場に居たのがお笑いに詳しくない武士ってだけの話だろとか、当時の一流の幇間を連れてったらもっと滑稽なことしてアメリカ人の素人芸とか撃破したわとか、明治のカッポレに至っては進化してこんなになってんだぞ、カッポレの面白さ馬鹿にしてんのかボケとか思うけど、こういうのは個人の感想にすぎない。

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そもそも初老に近い芸人の人を一箇所に集め笑いという感情を禁止し笑ったら吹き矢を尻に撃つのが人権侵害ではとか、色々な疑問はあるものの、世界的にみて黒塗りは止めようねって流れについては反対する理由がない。羽子板やら日本の奇祭なんかを観て、日本に住んでたり遊びに来きたりする黒人の人が嫌な気持になるんだったら、註釈を付けるとかの配慮はすべきだろう。話し合いするのも大事だし、今回の記事みたいに日本にはこういう文化もあるんだよって提示して、理解してもらうことも必要だと思う。

あの文章を書いた人と喧嘩したいわけでも、傷付けたいわけでもないけどれど、ペリー一行が演じたミンストレル・ショーが、明治文化にほとんど影響を与えていないのだとすると、冒頭で引用した一文に関しては、他者の歴史と文化を歪曲させたもので、ものすごい馬鹿にされたもんだってなって気持にはなるな。

それにしても『1870年から2017年の大晦日に至るまで存在し、これは記録に残っている』というのには、ものすごい興味がある。私の知らない分野では、ミンストレル・ショーが大流行し、明治の娯楽文化に強い影響を与えていたのかもしれない。嫌味とかではなくて、教えて欲しさがかなり強い。そんなわけで誤認だったんなら誤認だったよって教えて欲しいし、データや資料があるなら示してもらえるととても嬉しいです。

船頭小唄/フラメンコかっぽれ

船頭小唄/フラメンコかっぽれ

参考文献 講談作品事典 吉沢英明 講談作品事典」刊行会 平成20(2008)年