山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

土井善晴先生が料理してる姿を見ると動揺する

私はほとんど毎日料理をする。たまに料理の本を読んだりもする。それで土井善晴先生っていう料理研究家の人がいる。その人の料理本も、わりと参考にしている。しかし動画とかで土井先生が料理してると、えっ?土井先生って料理できるのっ?てなる。テレビ観てる人は土井先生が料理してる姿を知ってるからこんな気持にならないんだろうけど、私は本でしか知らないから土井先生が動いているだけで違和感ある。なんで土井が動いているんだッ!! っていう気持である。

雑誌とかのインタビューなんかで、土井はすごいしゃべる。こないだとか15ページくらいしゃべっていた。料理の本でも土井口調でアドバイスみたいなのが書いてあって、すごいしゃべる。ここまでしゃべるんだから、料理はしないんだろうなって余計に思ってしまう。

しかし動画なんかを見ると、やっぱり土井先生は料理をしている。その姿を見ることによって冷静になり、料理する人なんだから料理するに決ってんじゃんってなるんだけど、しばらくするとまた土井が料理をするってことを忘れてしまう。キクラゲと牛肉の炒め物なんかのレシピ確認すると、やっぱり土井口調でアドバイスとか書かれている。ここまで話が上手いんだから、まさか料理はしないだろうって脳が認識する。それでまたしばらくすると動画なんかで土井先生が料理しているのを目撃してしまい、おいッなんで土井が料理してるんだッ!ってなるんだけど、料理研究家なんだから料理するに決ってんじゃんっていう結論になる。

ところで日本やら昔の中国には、すごい名人上手が最終的には芸や技と一体化してしまうみたいな定番パターンが存在している。小説だと名人伝なんかがそうだな。剣術がスゲー上手いが故に、剣を取ることがなくなり、最終的には……とかそういうの雰囲気の話である。土井善晴先生も料理研究家なのに私が料理しないって思い込んでいるってことは、すごい名人上手になったってことではって思ったんだけど、考えてみたら土井先生は普通に毎日料理してるんだろうし、東洋の名人観はあんまり関係ないと思われる。そもそもこういう名人観って私は嘘クセーので大嫌いで、名人伝より5倍くらい面白い刃牙道でも宮本武蔵が無刀の境地に至ったとかいう設定あったけど、今は刀振り回しまくってるしまあそんなもんなんだと思うし、土井先生は料理をします。

それじゃなんで私が土井善晴先生が料理しているのに、料理してないって思い込んでいるのかっていうと、文字データの土井分は多いけど、動いている土井成分が少ないからで、メディアが多様化してくるとこの様な問題が起きてしまうのであったが、キクラゲと牛肉の炒め物が掲載されているのはこれ。

土井善晴さんちの 名もないおかずの手帖 (講談社のお料理BOOK)

土井善晴さんちの 名もないおかずの手帖 (講談社のお料理BOOK)

関係ないけど料理長がメチャ料理を教えてくる本はこれ。

永久保存レシピ 一流料理長の 和食宝典 ―私たちへ300レシピの贈り物 (別冊家庭画報)

永久保存レシピ 一流料理長の 和食宝典 ―私たちへ300レシピの贈り物 (別冊家庭画報)

面倒くさすぎて作れないものも多いけど、私はたまに鯛の昆布締めなんかを作って喜んだりしている。ネットでレシピがジャンジャン出てくるけど、自分が作りたいものしか見ないっていうデメリットある。料理本だと順番に読んでいくと、絶対に自分では作らないようなものが出てくるので料理の幅が増えるわけだけど、私の他にも動画とかで土井先生が料理してるとオイ土井が料理してるぞッ!! ってなる人がいるのかどうか気になるところですね。