山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

私はこういう人です

会長や社長が南京事件なんかを調べはじめたら諦めるしかない

近代の歴史を調べて遊ぶのは、すごく楽しい。楽しいんだけど、わりと微妙な感じになりやすいっていう特徴がある。

南京事件で検索すると、南京の虐殺はあったッ!!! みたいな人と、南京の虐殺などないッ!! って絶叫してる人ら大量にいる。本格的に昔の事を調べたことがある人は、その妥当性を判断できるけど、普通の人には難しい気する。近代の場合は資料を並べてそれらしくするのってわりと簡単だから、余計に厳しい佇まいがある。この辺りの難しさについては、ちょっと前に書いたことあるんで、普通の人はこういうの覚えておくと便利だと思う。

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別に個人で勝手に調べてて勝手に遊んでるならいいけど、自分の会社の会長やら社長が南京事件を調べ始めて、すごいそういう話をしてきたり、自分で本なんか書いちゃって配りはじめたら、かなり重々しい気持になる。会長や社長が会長や社長になってるってことは、そういう人格になるように生きてきたってことである。そういう生き方と過去にあった出来事を調べるのが得意な性質っていうのは、かなり懸け離れている。あと単純に会長とか社長って忙しいんじゃないの? だから会長や社長が南京事件について、まともに調べたりできるとはあんまり思えない。それでも本を配られたら、私なんかは人に気を使うタイプなんでお前から学ぶことなんかねぇからって、はっきり言えないと思う。

ワシは論文も読んでるから知ってるんだッ!!! みたいなジイさんいるかもしれない。でも論文だから正しいってのも狂ってるからな。私は歴史に関して素人だし、遊びで調べてるだけとかそういうレベルだけど、近代の文化についてはまあまあ詳しい。あくまで知らない人より知ってるってだけなんだけど、そういうレベルの低い人間でも、近代の文化にまつわる論文を読んでると、すごい微妙な気分になったりする。

分かりやすいんで先ほど紹介した記事でもちょっと触れた事例を挙げると、明治から大正時代にかけて、健康法の本を書きまくってる人がいる。健康法っていっても昔の本だから、レベルは低い。相撲取りは裸で強い。だから裸で暮したら人体は最強になるとかそういう雰囲気である。

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裸体は人を真面目にする

面白いからっていう理由で、私はその人の書いた本の8割くらいは読んでいる。これは素人の暇人だからできることで、真面目な研究者の人はそんな馬鹿なことしないと思う。

その健康法の人は食べ物のことも書いたりしているんだけど、もちろん作者のカンと当てずっぽうで構成されたいい加減な本である。ところがその食物に関する書籍が、家政史?の論文に先鋭的な例として引用されてたりする。多分引用している人は、作者がどれだけイカれた野郎なのかは知らないと思う。知ってたらこれは論拠にはならんよなって分かる。こういうことがわりとある。

別に私がすごいわけではないし、論文書いてる人が調査不足なわけでもない。そもそもその引用で、論文の価値が減少するわけでもない。ただ近代ってのは難しいし、わりと間違えやすい。こんなすごい瑣末な文化でも微妙な状況なんだから、巨大で複雑な物事について素人がちょっと調べて分かったぞッ!!! ってなるの危険だと思う。

さらに感情の問題なんかもあって、近代のことを調べてて自分の国で昔に生きてた人々が良いことをしてたと知ると、一種のカタルシスみたいなものが得られることがある。その逆もあって、自分の国が悪いことしてると興奮する人もいる。そういう気持になれるように書かれてる本も、わりと販売されている。こういうのがエスカレートすると、自分が見たいように過去のことを見てしまう。

私は暇つぶしに昔の事象をインターネットに書くことがあるんだけど、ネトウヨって言われたこともあれば、クソサヨって言われたこともある。別にあったことを書いてるだけで、ネトウヨもクソサヨもない。しかし気分が良くなりたくて昔の事を調べてると、自分が考えていた事柄と違うことを見せられると怒り出しちゃう感じの脳になってしまう。これは誰もが陥りやすい状況で、偉そうにこんなこと書いてる私もたまにやってしまう。

近代のことを調べるのはメチャ楽しい。一次資料に触れることもわりと簡単にできるし、読めないものもあんまりない。それでもやっぱり、昔のことを本格的に調べるのは難しい。そしてある分野で能力をすごい発揮する人が、別の分野では無能ってことはわりとある話である。だから尊敬する人がとんでもないことを言い出したとしても、そういうものとして受け入れるしかない。