山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

発言は正しいが行動が間違ってる

例えばなんだけど、登戸研究所が殺戮のためだけに作り上げた身長3mで体重320キロの筋肉の塊、全身の毛穴から毒を出し肩から生えた角で原子力船艦を2秒で沈めることが出来る生物(ふ号兵器)がいたとして、そいつが『生命は大切ッ! 輝け子供たちの未来ッ!』って絶叫しながら行進すると、全身の毛穴から出る毒で周囲のオッさんとか死ぬ。『生命は大切ッ! 輝け子供たちの未来ッ!』は正しいけど、そんなに生命が大切なんだったらまずお前が死ねよな……って思いながら、死にそうになったオッさんの大切な生命が消滅するわけだけど、これは発言は正しいが行動が間違ってるっていう事例である。

行動が伴なう行為であれば、こういうことはなかなか起きない。お前がたこ焼きすごい好きだったとして、常時たこ焼き天板を背負って町を徘徊し、見知らぬ一家がたこ焼きパーティーを開催してたら乱入して「そんなもんはたこ焼きやないッ!! ただの焼いた小麦粉やッ!!! 」などと絶叫したこ焼きを焼くみたいなことしようとは思わない。なぜなら面倒くさいし、そのうち逮捕されるからである。

しかしインターネットは違う。インターネットでは頭が良くてもアホでもバカでもマヌケでも、誰もが発言しようと思えば1秒で発言できる。労力も必要ないし書類送検にもなかなかならない。だから発言は正しいが行動が間違ってるっていう状況がすごく起きやすい。

私は明治から大正くらいまでの下等な文化が好きなんで、わりと詳しい。それで明治から大正くらいまでのまともな文化しか調べてない人が、すごいマヌケな間違いをしているのをたまに発見してしまったりする。そこそこの人が読んでるんだろうなって思うようなものもある。これに対して間違を指摘したとして、なんになるのかっていうと、あんまり意味ない。指摘が正しけりゃ正しいんだからそれでいい気するけど、その行為はむしろ害悪だと思う。

私は明治から大正くらいまでの下等な文化が好きだから、明治から大正くらいまでの下等な文化が好きな人が増えたらいいと思う。しかし明治から大正くらいまでの下等な文化のちょっとした間違いをガンガン指摘しまくる人間が、私以外にも50人くらいいたら、面倒くさくて誰も明治から大正くらいまでの下等な文化について触れなくなると思う。ちょっと気が向いて普通に遊んでいるだけなのに、すごい勢いで間違い指摘されるのは嫌な気持である。そんな奴らいるんだったら話題にするの止めるわってなる。

だから自分が好きな明治から大正くらいまでの下等な文化を紹介してる。

cocolog-nifty.hatenablog.com

そういうのを読んだ人がなにかの拍子に、明治から大正くらいまでの下等な文化を好きになる可能性がある。

インターネットで間違ってる人間を草の根分けてでも捜し出し間違い指摘してる人ってのは、それがあまり好きじゃないか、怠惰なんだと思う。ゴミみたいな間違いを指摘するよりも、好きになってもらうための行為のほうが大変だからな。

具体例を出すと、私はインターネットではフェミニズム関連のことは話題にしたくない。理由はもちろん面倒くさい奴らがいるからです。歴史調べてたりまともな本経由で興味持ったことはあるけど、私はインターネット経由でフェミニズムに対する興味を持ったことない。つまり私に関してだけ言うと、フェミニズム関連で怒ってるインターネットの奴らは、フェミニズムの話題に対して嫌悪感を植え付けてる側面がある。

正字正かなもやっぱり同じで、彼らが言ってることは基本的に正しいと思うんだけど、あいつらが喧嘩してるの見てると、正字正かなってクソダサいなーって感想しか持てない。私は正字正かなが良いって人らよりも、ずっと正字正かなの文章を読んでるけどそう思うんだから、正字正かなあんまり読んだことない人は正字正かなとか大嫌いになると思う。本来だったら正字正かな普通に読んでたはずの人に、嫌な印象受け付けてるだけじゃねぇのかって雰囲気あってとにかく最悪だと言える。

ただフェミニズムやら正字正かなに関しては、レベル低い人が変なことしてるの見て黙っていられなくてなにか言っちゃうんだけど、相手のレベル低いから下等な話題になるとかそういう同情的なところもあるけど、もうちょっとマシなことしたほうが良いと思う。

素人の人は基本的に間違っていて、間違ってることっていうのは、ちょっと知ってりゃバカでもアホでも指摘できる。あんまり理解できないけど、そういうのは気分が良いのかもしれない。だけどそんな行為にあんまり意味はないよなって私は思います。