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山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

私はこういう人です

明治の盗まれる人、盗む人

一般的に明治とは、日本が近代化へと直走った時代とされている。しかしその実態を見てみれば、今と同じで色々な場所で色々な人がそれなりに生きている。今回は歴史に残ってはいないものの、なんとなく親しみをもってしまう明治の盗まれる人、盗む人を眺めていくことにしよう。

盗まれる人

明治35年2月末日の明け方に、埼玉県北足立郡白子村の波間平十郎宅で、泥棒が箪笥の中を物色していた。その物音に目を覚ました平十郎は、跳ね起きるやいなや泥棒を取り抑えると説教をはじめる。この説教があまりに感動的だったのだろうか? 泥棒は感極まって泣き出してしまい、頭を畳にこすりつけながら謝り出した。白状するところによると、この泥棒が平十郎の家に盗みに入るのはなんと三回目のことである。

以後は改心しこの家へ指もささないと誓う泥棒、平十郎もその姿に感じ入り、今日はお前の未来への旅立ちの日だと、酒肴の用意し泥棒をもてなし始める。そうこうするうち、泥棒の仕事を探すため東京へ行こうじゃないかといったところで話がまとまってしまった。

平十郎の家から東京までは約20キロ、これくらいの距離ならば歩いて歩けないこともない。すでに東武鉄道が開通していたから、電車を使った可能性もあるのだが、その辺りのことは分からない。どちらにしろ酒の勢いで出発した二人が、酔いも醒めた頃にどんな会話をしたのだろうかと想像するのはなかなか楽しい。

無事に浅草松葉町に到着すると、二人は固く握手を交す。平十郎の親切に泥棒は感謝の言葉を述べ、自分の名は東吉で年は24歳だと告げるとそのままどこかへ消えてしまった。逮捕に繋がる情報を言い残していったのだから、恐らくこの泥棒は心底反省していたに違いない。ただし残念ながら彼がその後どうなったのかは分からない。

これは盗まれる人がのん気で善人というお話であるが、泥棒も負けてはいない。明治にはすご腕で間抜け、そして遊び好きな泥棒たちが沢山いる。

盗む人

明治35年の二月、浅草と葛飾の皮革商は相次ぐ盗難に悩まされていた。被害は牛革羊革合せて数十枚にも及ぶというのだから、なかなか凄腕の泥棒だったのだろう。商店の訴えに浅草署の探偵たちが捜査を続けていたが、手がかりすら見付からない。

犯人は浅草に住む川村と高柳という前科のある二人組で、盗んだ革数十枚を売り払っては吉原へ繰り出すという生活を続けていた。まさに灯台もと暗しだが、二人が捜査を掻い潜るだけの経験と腕前のある立派な泥棒だったことも伺い知れる。

二人が浮かれ歩くにつれて、革も減っていく。翌月中頃には、いよいよ最後の一枚となってしまった。この革をさっさと売ってしまえば、完全犯罪が成立していたことだろう。

しかし一枚だけ残った牛の革は、実に見事であった。

牛一頭分の本革に角まで付いていて、戯れにかぶってみればまるっきり牛の姿である。この見事な牛の革が、二人を意外な行動に駆り立てる。

その日は3月13日、旧暦だから桜が満開の時期である。向島では花見客たちが行き交っている。この当時、花見の際に扮装をして花見客を驚かせて楽しむ人々がいた。今でいうハロウィンといったところで、島田のカツラに付け髭といった他愛のないものから、大津絵の藤娘そのままといった凝った扮装をしているものもいる。

向島の人々を横目で見ていた二人組は、最後の最後この革を使って、花見で扮装をする計画を立ててしまう。一人は源頼光、もう一人が鬼童丸に扮して見事な牛の革をかぶり、『市原野』を演じようというわけである。『市原野』とは、雪中に牛の皮をかぶった鬼童丸が、頼光を待ち伏せするといった御芝居だ。遊び歩いている二人だから、芸にも多少は自信がある。狂言仕立ての脚本まで作ると、二人は扮装し大ウケ間違いなしだと向島へと勇んで出掛ける。

満開の桜の下でいよいよお芝居の開幕、二人は市原野を夢中になって演じる。妙に芸達者であるから自然に注目が集まり、花見客の中には声援を送る者すらいる。酒も少々入っていたのだろうか、怪童丸の川村は調子に乗りすぎ牛の物真似をしはじめる始末である。

被っているのが角つきの牛の革だから、ぱっと見本物の牛にしか見えない。道をねり歩くと、群集は驚き騒ぎ「牛だ牛だ」と左右に道を開ける。その様子を見ると二人組はますます興に乗り、牛の姿で歩き続ける。得意の絶頂といったところだろう。

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ところがその騒ぎを見ていたものは、花見客たちだけではなかった。浅草署の探偵たちが、向島でトラブルが起きていないか見回りをしていたのである。

逃げ惑う群集たち、これは明かにトラブルだから、探偵ならば注目するのが当り前だ。トラブルの原因は、牛の革をかぶって騒ぐ二人の男、カンの良い探偵ならば、こいつは浅草の事件の関係者に違いないと目星を付けるのが当然だ。意気揚々と帰宅する二人組を探偵たちは追跡し、素性を探った上であっさり逮捕、花見の芝居がもとで逮捕というのも今では考えられないのん気さ、間抜けさ加減である。

花見で扮装し芝居を演じて捕まる泥棒、泥棒を酒肴でもてなし東京まで見送る被害者、彼らは歴史の表には出てこない。いわゆる普通の人たちだ。事件としても大規模でもなければ、特筆に値するような劇的な展開があるわけでもない。ただなんとなく私は彼らが好きになってしまい、なんとなく紹介してしまったというわけである。

どろぼう がっこう (かこさとし おはなしのほん( 4))

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