山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

ブロマガの思い出

ちょっと前まで『山下泰平のブロマガ』というのをやっていた。

f:id:cocolog-nifty:20160608105217p:plain

なかなか面白い経験だったので、記録として思い出話を書いておくことにする。

なぜブロマガだったのか

当時は雑誌で連載なんかをしていて、宣伝用のメディアが欲しかった。その時期に、たまたまブロマガというサービスがリリースされた。(ような曖昧な記憶がある)

できたてのネットサービスで注目されるのはわりと簡単だから、ブロマガでブログを書くかと思いブロマガを始めた。

ジブリとドワンゴは仲が良い。当時の私はジブリの雑誌で連載をしていたため、ドワンゴから頼まれてブロマガで書いていたと勘違いされることも多かったのだが、私は自分の勝手でブロマガを選んだ。

今は知らないけど、ブロマガはお金を出すと日記が書けるという狂気のサービスだった。ついでにニコニコ動画も良い感じで観ることができるようになる。メディアプラン?みたいなものに申請を出し、審査に通過すると有利な条件で契約を結ぶことができた。そちらは無料だったような気がする。有料よりも無料のほうが良いので、私も申請を出したのだがすんなり落ちた。

お金を払うのは嫌だったが、他のブロマガを見る限りあまり普遍性のある話題のものもないし、すぐに人気でるだろうという目論見があった。

事実、私のブロマガはそれなりに面白かったので、そこそこ人気はでたのだが、私は文化圏というものを甘く見すぎていたため、頻繁に炎上のような状態になった。

文化を認識していなかった

私はあまりマーケティングだとかに興味はない。だからサービスが属する文化圏といったものに、目が向かなかった。

そしてブロマガにはなんとも独特な文化があった。ここでは仮にそれをニコニコ文化圏と呼ぶことにする。

私は長い間、ニコニコ動画はニコニコ動画、ブロマガはブロマガで、別個のサービスだと誤認していた。ブログメールマガジン?の略だから概ねブログなんだろうといった感覚で、好きに明治大正時代の文化について書いていれば、そういうものが好きな人が読みに来るのだろうといった認識である。しかし実際のところ、ブロマガもニコニコ文化圏に属していた。

あくまで私の主観、かつ今はどうなっているのか知らないが、ブロマガは第一にニコニコ動画のユーザーがニコニコ動画のことを書くため、もうひとつの目的としてはまとめサイトを運営するため、そして有名人の連絡用に作られている。今から考えると、私の利用方法にはあまり向いていなかったんだと思う。

ニコニコ文化圏とは

ニコニコ文化圏には様々なルールがある。文化ってのはルールの集りなんだから当り前の話だが、とにかくこのルールが複雑だった。

分かりやすいものだと面白いことを書いた後には『wwww』を付ける。つまり『wwww』が表示されていると、読み手はこれは冗談なのだなとすぐに理解できる。なかなか便利な符牒であるが、私は『wwww』とか入力したくない。

もうひとつの事例を挙げると、オススめ度を『★★☆』などといった記号で表現するといったものもある。『★』が増えれば増えるほど、コンテンツの価値は上る。あとなんかよく分からない体現止めだとか語尾を『ぞ〜』にするみたいな雰囲気である。

この様に文章に限ってみても、複雑で多種多様なルールがある。金を儲けると怒られるとかもあって、ブロマガは基本的にアフィリエイトできないようになっている。ちょっとなにかを批判すると500倍くらいの勢いで批判されるという風習もある。もちろん意味が分からない立ち振る舞い方の様式やら、暗黙の了解やらも大量に存在する。こういうルールについて実は今もあんまり分っていなくてカンで書いてんだけど、当時は2chが少しだけ上品になって動画にコメント書ける愉快サービスくらいの認識しかなかった。

良かったこと

明治や大正の文化に全く興味がない人に、強引に明治や大正の文化の知識を流し込むというような行為が私はものすごく好きである。なぜ好きなのかというと面白いからです。もちろんブロマガでもそういう遊びをやっていた。流し込む知識は研究者すら(瑣末かつ重要ではなさすぎて)知らないような事柄ばかりである。これはわざとやってるわけでもなくて、私がそういうことばかり調べて遊んでいるから、自然にそうなってしまう。

で、ブロマガをやっていて最高に良かったのが、ブロマガの記事はほぼニコニコユーザーしか読まないという点だった。これによって明治大正文化の研究者も知らないような知識を、なぜかニコニコユーザーの一部の層が知っているといった状況が発生していた。

私の趣味嗜好のひとつに、知識の流れやバランスを壊すというのがあるので、こういった状況はとても気分が良かった。

かなり気持ちの悪い異常者が数名いたものの、ユーザーは純粋だったり素直だったりたまに知的だったりで、基本的には良い人が多かったような気がする。

悪かったこと

ブロマガで記事を書くと、たまにアクセスが異常に増える。これはブロマガが提供しているサービスで、読まれそうな記事を書くとニコニ広告?というものに掲載される。ちなみに下のような表示になる。

f:id:cocolog-nifty:20160607144613p:plain

アクセスが増えるのは良いのだが、いろいろ都合の悪いこともあった。

ニコニコ動画というのは、動画に文字を貼り付けたりするサービスである。つまり動画を観ている人間は、コメントすることに抵抗がほとんどない。そして動画を観ているユーザーにとって、基本的に広告は邪魔な存在である。邪魔なものをクリックしている時点で血の気が多くなっている。というわけでイライラした人間が言い掛かりに近いコメントを書きまくるという状況が発生しやすい。

ぶっちゃけ私自身も動画を観ている時に自分のブログの広告が出てきて、イラっとしたことがあった。まあすぐ怒り出すのも無理はないかなと思う。

ブログの内容もかなり微妙だった。先にも書いたように全く無関係な話題にムリクソ明治や大正の文化の知識を埋め込むみたいな内容だったため、ただでさえイラつく人間がいる。すでにイラついている人間ならば余計にイライラする。

また中高学校野郎みたいな奴らが大量にいて、彼らは真面目な話題とエンターテインメントをかっちり分ける傾向があった。彼らにとっては昔のことというのは、どうやら真面目な話題らしく、そこでふざけた話題が展開されるのが我慢ならないようだった。残念なことに私はふざけた話題が大好きである。マッチング不成立といった感じだ。どんな資料であれ、面白いものは面白いんだから玩具扱いしても支障ないと思うんだけど、受験とかあるからこうなるのかなっていう感想だった。

もうひとつ、完成された商品が求められるというのがかなりキツかった。

基本的にニコニコ文化圏では、商品として提供されているコンテンツを消費することが多い。だから商品が提供されるという前提で、私の文章を読み始める。しかし私が好きな明治大正文化情報は、8割くらいは正しいけれど、2割はかなり怪しいといったものである。これはどう考えても商品ではない。そういう不完全なものは嫌われる傾向が強い。それじゃ2割潰せよって話になると思うけど、それは研究機関の仕事で、そんなこと始めたら金と時間がいくらあっても足りない。

正しいですって態度で書いちゃえば完成品みたいに見えないこともないんだけど、それは誠実さに欠けるので私はなるべくしない。そもそも明治や大正時代というのは現代と比べると未完成である。だから事実を書いただけで怒られるというようなことすら発生する。

あと私の性格と価値観が最悪という問題があったが、これは瑣末な問題でほぼ影響ないと思う。だいたいのことは環境が悪い。私がインターネットに文章を書くスタンスというのは、わざわざ俺が書いてやったものをお前らに無料で読ませてやってるんだからありがたく思えといった最低最悪な雰囲気だけど、怒られたのとはあんま関係ないという見通しである。

この他、細々とした意味の分からない反応も多かった。なぜか記者呼ばわりされたり、むしろ金を払ってるのに金をもらってるんだから真面目に書けなどといった理不尽な要求がなされたりする。これが文化的なものなのかなんなのかは未だによく分かっていない。

ところで私はブロマガで書いてたのでニコニコ文化圏って呼んでみたんだけど、もしかすると今のオタク文化は全般的にこういう感じかもしれない。こういう環境でやってくの大変そうだと思う。

私のブロマガはどうなったのか

上記のようなことから、炎上(大量の人間からメチャ怒られてる状態)が起きやすいブログになってしまった。実際、何度か怒られたりした。大量の人間が激怒すると右上に赤い丸が出てきて、100件のコメントが追加されましたと表示される。

f:id:cocolog-nifty:20160607144654p:plain

記事を書いて寝て起床したら赤い丸が表示され、一目瞭然で怒られてるのが分かるといった史上最悪のシステムだと思う。しかし100が上限だからいくらコメントされても100から変化しない。最初の頃は律儀に赤い丸を押していたのだが最終的にはムシすることにしたため、常に100件コメントが追加されましたと表示されている状況となった。

はっきりいってコメントの質はあまり高くない。私が見た範囲だと5つくらい良いコメントあったけど、良くないコメントは1000以上ある。良いコメントに出会える可能性が低過ぎるので、途中からコメントは読まなくなってしまった。コメント欄を読むより漫画とか読んだほうが効率良いと思う。

インターネットで怒られるということ

私はわりと長いあいだインターネットで文章を書いたりしているので、なんどか怒られたことがあった。ただそんな怒られたわけでもなくて、たまにちょこっと怒られた程度です。

ところがブロマガでは、かなり本格的に怒られた。炎上したらアクセス増えるとかホザく知能からゴミクソが滲み出てるみたい人もいらっしゃいますけど、私は怒られるのも怒らせるのも嫌です。

そしてインターネットで本格的に怒られるのはマジヤバい。日常生活で怒られるといっても怒る奴の体力の問題もあって、せいぜい30分くらいだと思う。38時間とか怒り続けてる奴は色々な病院に行ったほうが良いといった状況である。

しかしインターネットだと違う。怒る奴らが集結し自然に怒るためのプロジェクトチームが組まれ24時間体制で怒られてしまう。怒られる奴は、起きてる時も寝てる時も一日中怒られ続ける。基本的には放っときゃいいんだけど、たまに人生ブッ壊れる奴とかも出てきてヤバい。数年間インターネットで怒られ続けてる奴までいる。こんなのはインターネット以前にはなかったことで、昔の人が一生かけて怒られる量を一日で越えることも難しくないしとにかく最悪である。

インターネットで怒られるのは気分が悪い。怒られる方は、このアホなぜ怒ってんだか分からないけどヤカマしいなーとか思って反省するし、怒る人も気分が悪い。だからなるべくなら怒りの要素を少なくしたい。

人類との戦い

ブロマガで文章を書き、読んでる人らの反応を眺めているうち、これはすごい日本っぽいって思った。

典型的なのがミスを指摘するのにヤッキになったり、情報は無料だと思い込んでる奴らなんだけど、こういう人たちは学校やら職場にもわりといる。よく知らないけど外国にもこういう人間たちは大量にいる気がする。つまり彼らは人類である。

なにか書くたび怒られるので、面倒くさいし止めるかとか思ったりもしたのだが、止めてしまったら人類に敗北したことになる。これは腹立つ。そして私は人類がわりと好きです。

結局はどうなったのか

私は人類に怒られたくない。だからなるべく怒られないような書き方を模索していくわけだが、かなり難しかった。インターネットでは一言なにかを言わなくては気が済まない人がすごく増えてきていて、対象についての知識が皆無な人間もなぜか意味の不明瞭なことを書き込んでくる。

私はどうしても人類が多くやってきても、怒られない記事が書きたかった。だからなぜ彼らが怒ってるのか理解しようとするんだけど、サッパり分からない。彼らといっても良い奴から単なる異常者まで様々な人類がいる。まとめて眺めるとワーワーやかましい奴らみたいになるけど、ひとつひとつのコメントを人格ある存在として眺めると、まあ悪くないものだなとも思えてくる。思えてくるけど面倒なものは面倒だし、怒られないようにするのもすごく難しい。

それで試行錯誤して何度も失敗したんだけど、私は失敗したことはすぐ忘れる。成功したことしか覚えていない。だから失敗したのはなにやったんだか忘れちゃったんだけど、いろいろやった結果考え出したのが、究極まで情報量を減らすという手法である。過去に存在した文字情報を掲載し、ほんの少しだけ私の文章を加える。情報量を減らすとなにが良いのかというと、下記のような感じになる。

  • ツッコみ所が減る
  • 製品としての完成度が上がる
  • 短かいからすぐ読み終るため時間消費して損した気分が減る

この技術を駆使して書いたのが下の記事である。

ch.nicovideo.jp

こちらの記事は5万程度のアクセスがあったが、ほとんど怒っている人はいなかった。(と思う)

なにはともあれ怒られない記事が書けたのは満足感があった。この調子でやってきゃいいのかとは分かったものの、人類が気に入るものを書くと私は楽しくない。あと怒られてまで自分が調べた事柄を無料で提供するのはちょっと勘弁みたいなところもあった。その上、毎月金を払わなくてはならないので、あっさりブロマガは止めてしまった。

ただ私は自分の知らない文化を知るの大好きなんで、こういう場所もあるのかと分かったのはとても良かった。良い人らも大量にいたので、もうちょっとコミュニケーション取ったほうが楽しかったのかなと思わないこともない。だたもう私は完璧なオッさんなんで、『wwww』とか使うの厳しさあるから仕方ない感じする。

あと異文化の中で、ギリギリ自分のポリシー崩さず上手にする方法を考えるのはすごい楽しかったし、そういう技術も身に付いた。そんなわけで全般的には良い経験だったと思います。

ニコニコ学会βのつくりかた―共創するイベントから未来のコミュニティへ

ニコニコ学会βのつくりかた―共創するイベントから未来のコミュニティへ

  • 作者: 江渡浩一郎,くとの,富野由悠季,瀬名秀明,メレ山メレ子,辻順平,高井浩司
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2016/05/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る