山下泰平の趣味の方法

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明治の弥次喜多宇宙へ行く

明治の SF は整理されている

明治の SF 小説は調べている人がわりといて、学問と対象となっていないジャンルとしてはかなり美しく整理整頓されている。推理小説も似た状態で、この2ジャンルについては先行研究をしてくれている人たちにとてもお世話になっている。余談だけどSF や推理小説を好む人は理知的なことが多い。そういう人が好むジャンルは、小説に限らず自然に美しく整理されている傾向があると思う。

私は明治の娯楽小説、それも比較的程度の低い小説ばかり選んで読んでいる。だから明治の SF や推理小説の熱心な読者ではない。それでも無駄に飛し読みをしているため、これは知られてはいなんじゃないのかなといった書籍を発見してしまうことがある。

ジュール・ヴェルヌと膝栗毛

横田順彌さんという人は明治の SF に詳しくて、良い本を大量に書いている。『近代日本奇想小説史 明治篇』はものすごい読み応えのある本で、明治の変った小説が好きな人には絶対おすすめです。

近代日本奇想小説史 明治篇

近代日本奇想小説史 明治篇

『近代日本奇想小説史 明治篇』において、ジュール・ヴェルヌの翻訳本と、影響を受けている作品が大量に出てくる。SF や冒険物語が好きな人にとってはジュール・ヴェルヌは常識だろう。しかし知らない人は知らないと思うので一応は紹介しておくと、ノーチラス号という潜水艦をなにかの物語で読んだり見たことがあると思う。それを最初に書いたのがジュール・ヴェルヌさんで、とにかく SF やら冒険小説の古典を大量に書いたすごく偉い人なんだ。これでジュール・ヴェルヌのことは分かったと思う。

『近代日本奇想小説史 明治篇』のジュール・ヴェルヌの章はすごくまとまってはいるのだけれども、ジュール・ヴェルヌの諸作品からインスピレーションを受けて書かれた明治日本の下等かつ読む意味のない書籍が一冊欠けていて、それは弥次喜多が大砲と気球に乗って宇宙を移動するという驚くべき駄作である。駄作だから意図的に外したんだろうけど、こういうことは書かずにおいたら一部の人が知ってるだけでそれっきりになってしまう。というわけで、今回は明治の弥次喜多宇宙へ行くというお話を紹介しようと思う。

膝栗毛とパロディ

東海道中膝栗毛はかなり有名な作品、しかしその内容はよく知らないという人が多い。

弥次郎兵衛と喜多八が元恋人というのは有名な話だが、この二人が旅行に出るきっかけが酷い。喜多八が奉公先で妊娠させた女が産気付いた際に、弥次喜多が周囲で大喧嘩、そのショックで女は死亡する。女の葬式をしていると、喜多八の奉公先の旦那が病死、喜多八は不品行極まりないからとクビになる。二人は面倒になったため、江戸から逃亡するため旅に出るといったもので、最初から常軌を逸している。その後も愚に付かない駄洒落が延々と出てきて、弥次喜多がカス丸出しの行為と狂歌やなんかを連発、たまに弥次が教養を見せ付けるなどといった物語で、大半の現代人は読みたくない書物であろう。

もちろん江戸時代であれば、ヒットする要因は多い。当時の方言や地方の風俗が紹介されており、ガイドブック的な存在でもある上に、笑える場面が数多く並んでいる。しかし今を生きている普通の人が読んでも、あまり面白くはない。やはり江戸時代の物語である。

そんな膝栗毛だが、数多くのパロディ作品が作られている。共産主義の人は喜多八に『万国の労働者団結せよ!』と絶叫させている。

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この他にも弥次さんの子孫『弥次八』とチャップリンが旅行する『チャップリンのニコニコ漫遊』などといったイカれた作品が大量に存在する。

なにゆえにパロディ作品が作られまくったのか、一番の理由は明治あたりだと面白い作品が少なかったからである。最近まで弥次喜多とかいうのあっただろ、あれっぽいの書いといたら売れるんじゃねみたいな雰囲気が明治の初期にはあった。

ただし明治以降も弥次喜多系の物語は、幾度も作られている。これは素材として扱いやすいからだろう。弥次喜多のネームバリューがある上に、おかしな二人組が旅行をして、旅先でトラブル起こすという構成は、単純であるが故に扱いやすい。

その他の要因として物語の構造が、物事の解説に適していたという事情がある。そもそも東海道中膝栗毛自体が、ガイドブック的な性質を持っていたわけなのだから、当然といえば当然である。

『人体道中膝栗毛 (三五月丸 一八八六(明治一九)年)』という作品では、旅を終えた弥次喜多が居眠りしているところから物語は始まる。旅が好きだが金もないく遠くにも行けない。仕方がないのでミクロ化し、人体を旅行するという完璧に狂った物語である。

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弥次喜多の二人が頭蓋骨から爪先まで旅行をする様子を描きながらも、人体の知識も折込まれており、当時は乏しかった衛生の概念の普及にも寄与した……といった記憶があったが、今読み返してみると耳塚がどうとか胃袋の温泉で病気直るとか馬鹿みたいなことしか書かれていなかった。弥次喜多の人体旅行を通じ、医学を学ぶといった作品があったような気したのだが、私の妄想かもしれない。

『人体道中膝栗毛 (三五月丸 一八八六(明治一九)年)』は、弥次喜多が人体を旅行するというアイデアだけで強引に作り上げた作品で、今の人は読む必要はない。ちなみにイラストは、野村芳国が描いていてなかなか面白い。

この様に、膝栗毛のパロディ作品は多い。今回紹介する弥次喜多が宇宙に行くという物語も、そんなパロディ作品のひとつである。

弥次喜多宇宙へ行く

『宗教世界膝栗毛』(英立雪 著 兎屋大阪支店 P60 明治一七(一八八三)年)は、ジュール・ヴェルヌの『気球に乗って五週間』と『月世界旅行』の設定だけ借用し、科学的な見解などは片っ端から取っ払い、強引に戯作のテクニックで物語に仕上げた明治の混沌さを味わえる逸品である。一応ストーリーを紹介しておこう。

空には二つの奇星がある。ひとつは無闇矢鱈世界、もうひとつは宗教世界である。ここで世界というのは星の意、現代的な表現に直すと、無闇矢鱈星と宗教星となる。

日本全国を踏破して西洋をも道中し尽した弥次喜多だったが、最近は書生や商人まで世界を旅するようになってきた。これではホラも吹けないと悩んでいると、米国で月へといける機械が発明されたと聞き付ける。早速米国に乗り込むと、すでに機械は完成していた。ところが人々は危険を感じ、誰も月へ行きたがらない。渡りに舟と二人は機械で月へと出発する。

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画質が悪く分かりにくいが、大砲の様なもので人間を打ち上げる機会である。

  • アメリカで完成した
  • 大砲に似た
  • 月に行くための機械

これでピンときた人もいると思うが、『月世界旅行』の大砲クラブが制作した機械そのままだ。明治一三にはジュール・ヴェルヌの月世界旅行が『九十七時二十分間月世界旅行』(ジュールス・ヴェルネ著 井上勤訳 黒瀬勉二出版 明治一三(一八八一)年) として翻訳されているので、作者の英立雪はこの書籍から設定を借用している可能性が高い。

『月世界旅行』は、当時としてはかなり綿密に科学考証がなされており、空気がどうとか、抵抗がなんだとか出てくる。ところが『宗教世界膝栗毛』では、弥次喜多は生身で大砲の玉にへばり付いて宇宙へ行く。

この小説の世界には、科学もクソもなく、弥次喜多のノリと勢いしかない。その反面、無闇矢鱈世界にある五つの国がどのような政治形態なのかなどは、かなり熱心に書かれている。宗教世界も、無駄に数が多い。

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なんでこんなことになってしまったのか、これは作者の資質の問題もあるのだが、単純に当時の日本では科学よりも政治や宗教のほうがずっと人気があったというのが大きい。科学的な解説をする娯楽小説よりも、政治や宗教が出てくるほうが売れた。、それだけの理由だろう。

とにかく月に向った弥次喜多は方角を誤り、無闇矢鱈世界へ辿り着いてしまう。ここでは茶を頼むと夕方に出てきたり、宿屋の亭主をキリストだと思い込み蝙蝠傘で撃退しようとするエピソードが語られる。

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そうこうするうちアメリカの科学者も、大砲の操作を誤り無闇矢鱈世界にやってくる。大砲の不完全な設計に気付いた科学者は、軽気球を作り始める。このアメリカ人と宗教論争したりするも、論争のレベルはかなり低い。

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いろいろあるが、とにかく二人はまたもや実験台となり、気球に乗って宗教世界へ出発する。

高度が上がり宇宙に到達する。この気球というのもやはりジュールス・ヴェルネの『気球に乗って五週間』をヒントにシていると思われる。『宗教世界』の一年前、明治十六に『亜非利加内地三十五日間空中旅行』(ジュールス・ベルネ 著, 井上勤 訳 宏虎童 一八八四(明治十六)年) として翻訳されている。

昼の如く夜の如く明ならず闇ならず四望茫茫として遥かに衆星の囲繞せる(たくさんの星がちらばっている)のを見るのみ、といった宇宙にいて、弥次喜多は無重力状態のまましゃべり続けるのだが、空気がないので音も聞えないという描写はある。こちらは月世界旅行の描写をヒントにしているのだろう。

気球で宇宙を移動しながら、弥次喜多が作者の英立雪の噂話をしたり、キリスト教信者の喜多八が教義を語ったりするうち、流石の弥次喜多も空気がないので半死半生の状態に陥ってしまう。生死の境を彷徨いながら、十日を宇宙で過し、とうとう弥次喜多は宗教世界に到着する。 f:id:cocolog-nifty:20150703120202p:plain

そこはキリストが悪魔扱いされている国で、弥次郎兵衛はキリストに化け喜多八を驚かせようとするが、色々あってうっかり二人とも人事不省に陥り、互いに互いが死亡したと思い込むも目出度く再会、弥次喜多が作者の英立雪に手紙を送ってこのお話は終り、現代人にしてみると意味の分からない物語だと言えよう。

ちなみにこれは『宗教世界膝栗毛』の第一巻である。

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もちろん続編は出ていない。

雑感

当時の日本としては最新の物語だった『月世界旅行』や『気球に乗って五週間』の設定で、弥次喜多に旅行をさせるというのは、かなり面白い試みだ。ところが作者はあくまで戯作の技法で物語を書こうとしているため、かなり無理が出ている。

馬鹿馬鹿しい駄作であり、明治の SF 作品としても意味のあるものだとは思えない。だから普通は読む価値ないのだけども、次のようなクダらなく頭が悪そうなの筆名が好きな人は読むと面白いとは思う。

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普通に面白い本が好きな人は、横田さんの本を読みましょう。

近代日本奇想小説史 入門篇

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