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山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

私はこういう人です

若者はオッさんムシって良いと思う

趣味と社会

すでに私はオッさんになってしまったんだけど、すぐに足が疲れてきてダルダルになってブラブラする。すごいブラブラするから足に意識が集中して、知能の低下もただならぬ状態である。こういう人間から学ぶことがあるのかっていうと、皆無だと思う。

俺の足がブラブラするっていうのは事実なんだけど、最近は若者と仕事することが多い。若者というものはすごい。元気だし勢いがある。あと最近の若者は真面目で勉強もきちんとしていて、基本的に偉い奴が多いと思う。私は足がブラブラしてるし会話も面倒なので若者と仕事するの邪魔くさくて仕方ない。だから全部若者に仕事してもらってるんだけど、若者は全部仕事するから偉いと思うし、もう若者はオッさんとかムシって勝手にいろいろしたほうが良いと思う。

そもそも今のオッさんというのは若い頃にオッさんとかジイさんとか初老に最近の若者は駄目だッ!! とか言われてきた世代である。若者の頃に駄目だった奴はオッさんになっても駄目だと思う。いや俺は若い頃から駄目じゃないし、今も全然駄目じゃないお前と一緒にするなって思ったオッさんいると思うけど、我々が若者だった頃は『年長者に逆らうなどもっての外だ』というルールがまだ生きていた。お前が若い頃に駄目じゃなかってって主張した時点で、貴様は年長者に逆らう人間の屑になるからな。どっちにしても俺らオッさんはもう駄目だ。だから若者が全部仕事したほうが良いと思う。

いやいや俺の周囲のオッさんの中にはすごく出来る人いるぞっていう若者がいるかもしれない。しかしオッさんは惰性で過去の動作を繰り返しているだけの自動人形(オートマタ)みたいなものである。優秀なオッさんが歩行している時に、いきなり後頭部殴ったら一瞬動き止まると思う。なぜなら自動人形(オートマタ)だからで、オッさんは予想外の動きに反応できない。君が尊敬していたのはオッさんではなくて、過去にオッさんがした動作でしかない。予想外の動きに反応できるのはやっぱし若者で、もう若者が全部仕事したほうが良いと思う。

とにかく若者は自信を持ったほうが良い。私はもうオッさんだから思い出せないんだけど、多分デカルトが方法序説にこんなことを書いていた。

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

若い頃にものすごい考え抜いたことを、オッさんになった今になって考えると、違った結論が出てしまう。しかし今よりもずっと頭が良く、精緻に考えるだけの体力のあった頃に出した結論をオッさんとなり劣化してしまった自分が覆すことは愚かなことである……みたいな感じなんだけど、確かに同じ材料を同じ時間かけて同じ知識量で考えると過程すると、絶対にオッさんより若者のほうが良いものを出力すると思う。だから若者は色々なことを考えておいて、オッさんになった時に備えるべきである。そして若者のほうがオッさんより偉いって結論も出てるんだから、もう若者が全部仕事したほうが良いと思う。そういやあれ書いたのデカルトじゃなくてキケロ?だった気もしてきたけど、気にはなるものの調べるほどの情熱もないしやっぱりオッさんは駄目だと思うので若者がんばってくれ今日も読んでくれてサンキュー!!!

老年について (岩波文庫)

老年について (岩波文庫)

この世界の片隅にの評価が高いのはとても良いことだと思う

趣味と社会

『この世界の片隅に』って映画があって、戦時中の日常生活が詳しく描かれているらしい。それがわりと評判が高いという話を聞いて、ヘーって思った。ちょっと前だったら観て怒り出す人もわりといたんじゃないかなって感じがした。

私が子供の頃には平和教育?みたいなのがあったんだけど、とにかく戦時中というのは悲惨で最悪だったみたいなのを教えられた。今の私はオッさんだから雰囲気を読むけど、子供というものはバカである。「先生ー戦争中にも調子コイて腹踊りしながら鉄砲で撃たれて死んだ奴とかいるんですかー」みたいな質問してすごい怒られたりした。戦争中にも調子コイて腹踊りしながら鉄砲で撃たれて死んだ奴がいたのかどうか、それは分からないけど、子供だったらそういうことに興味を持つのは当然だと思う。しかしそういった素朴な質問すら許されないといったような重々しさが平和教育にはあった。

大人になってから色々なものを読んだり人に話を聞いたりするうちに、教育を受けたのと違っていて戦争中もわりと面白いことしてる人らがいたってことが分かってきた。日本海側だと魚が採れたから飯大量に食ってたとか、ある時代までは若者が出征する時に宴会好きなオッさんが調子コイてメチャ宴会してたとか(統計データあったと思う)、病気で戦場に行けない兵隊が集まって塩作り作戦?を決行して地元の人とわりと楽しく塩を作りながら生活してたとかそういう話である。

なんか噂と違うよなーって感じだったけど、考えてみれば当り前の話で、人間なんだからどういう状況でも生きてる限りは色々なことする。四六時中苦痛だったりするわけない。私は暗いの嫌いなので戦時中のこととかほとんど調べたりしない。明るくて陽気な明治やら大正時代のことばかり調べてるんだけども、やっぱりそういう時代の人も普通に生きてる。ところがそういうことをそのまま書くと、怒り出す人がわりといてかなり鬱陶しい。かって人が生きてて、なにかをしていたってのは事実でしかなくて、それはそうとしか言い様がない。

『この世界の片隅に』は映画だから、大量の人が観るっていう前提で作ってあると思う。そういう作品が、昔だったら怒る奴らが出てくるような作りになってるのは、個人的にはちょっとした驚きだった。今でも『この世界の片隅に』を見て主人公に戦争責任はないのかッ!!! とか怒り出す人いるみたいだけど、ネットの感想を観る限りは少数派なんだろうなって思う。

出来が良すぎるからなのか、近年急激にそういう人が減ったのか、時代が変ってしまっていたことに私が気付いていなかっただけなのか、それはよく分からないけど、とにかく映画の評価が高いのは素晴しく良いことだと思う。

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

会長や社長が南京事件なんかを調べはじめたら諦めるしかない

趣味と苦悩 趣味と社会

近代の歴史を調べて遊ぶのは、すごく楽しい。楽しいんだけど、わりと微妙な感じになりやすいっていう特徴がある。

南京事件で検索すると、南京の虐殺はあったッ!!! みたいな人と、南京の虐殺などないッ!! って絶叫してる人ら大量にいる。本格的に昔の事を調べたことがある人は、その妥当性を判断できるけど、普通の人には難しい気する。近代の場合は資料を並べてそれらしくするのってわりと簡単だから、余計に厳しい佇まいがある。この辺りの難しさについては、ちょっと前に書いたことあるんで、普通の人はこういうの覚えておくと便利だと思う。

cocolog-nifty.hatenablog.com

別に個人で勝手に調べてて勝手に遊んでるならいいけど、自分の会社の会長やら社長が南京事件を調べ始めて、すごいそういう話をしてきたり、自分で本なんか書いちゃって配りはじめたら、かなり重々しい気持になる。会長や社長が会長や社長になってるってことは、そういう人格になるように生きてきたってことである。そういう生き方と過去にあった出来事を調べるのが得意な性質っていうのは、かなり懸け離れている。あと単純に会長とか社長って忙しいんじゃないの? だから会長や社長が南京事件について、まともに調べたりできるとはあんまり思えない。それでも本を配られたら、私なんかは人に気を使うタイプなんでお前から学ぶことなんかねぇからって、はっきり言えないと思う。

ワシは論文も読んでるから知ってるんだッ!!! みたいなジイさんいるかもしれない。でも論文だから正しいってのも狂ってるからな。私は歴史に関して素人だし、遊びで調べてるだけとかそういうレベルだけど、近代の文化についてはまあまあ詳しい。あくまで知らない人より知ってるってだけなんだけど、そういうレベルの低い人間でも、近代の文化にまつわる論文を読んでると、すごい微妙な気分になったりする。

分かりやすいんで先ほど紹介した記事でもちょっと触れた事例を挙げると、明治から大正時代にかけて、健康法の本を書きまくってる人がいる。健康法っていっても昔の本だから、レベルは低い。相撲取りは裸で強い。だから裸で暮したら人体は最強になるとかそういう雰囲気である。

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裸体は人を真面目にする

面白いからっていう理由で、私はその人の書いた本の8割くらいは読んでいる。これは素人の暇人だからできることで、真面目な研究者の人はそんな馬鹿なことしないと思う。

その健康法の人は食べ物のことも書いたりしているんだけど、もちろん作者のカンと当てずっぽうで構成されたいい加減な本である。ところがその食物に関する書籍が、家政史?の論文に先鋭的な例として引用されてたりする。多分引用している人は、作者がどれだけイカれた野郎なのかは知らないと思う。知ってたらこれは論拠にはならんよなって分かる。こういうことがわりとある。

別に私がすごいわけではないし、論文書いてる人が調査不足なわけでもない。そもそもその引用で、論文の価値が減少するわけでもない。ただ近代ってのは難しいし、わりと間違えやすい。こんなすごい瑣末な文化でも微妙な状況なんだから、巨大で複雑な物事について素人がちょっと調べて分かったぞッ!!! ってなるの危険だと思う。

さらに感情の問題なんかもあって、近代のことを調べてて自分の国で昔に生きてた人々が良いことをしてたと知ると、一種のカタルシスみたいなものが得られることがある。その逆もあって、自分の国が悪いことしてると興奮する人もいる。そういう気持になれるように書かれてる本も、わりと販売されている。こういうのがエスカレートすると、自分が見たいように過去のことを見てしまう。

私は暇つぶしに昔の事象をインターネットに書くことがあるんだけど、ネトウヨって言われたこともあれば、クソサヨって言われたこともある。別にあったことを書いてるだけで、ネトウヨもクソサヨもない。しかし気分が良くなりたくて昔の事を調べてると、自分が考えていた事柄と違うことを見せられると怒り出しちゃう感じの脳になってしまう。これは誰もが陥りやすい状況で、偉そうにこんなこと書いてる私もたまにやってしまう。

近代のことを調べるのはメチャ楽しい。一次資料に触れることもわりと簡単にできるし、読めないものもあんまりない。それでもやっぱり、昔のことを本格的に調べるのは難しい。そしてある分野で能力をすごい発揮する人が、別の分野では無能ってことはわりとある話である。だから尊敬する人がとんでもないことを言い出したとしても、そういうものとして受け入れるしかない。